男の鞄には何が入っているのか?
気に入ったトートバッグがなかったので、友人の革職人に頼んで、自分でデザインしてみました、という話はこんどゆっくりするとして。
ええと、なんだっけ、そうそう、このトートバッグはとにかく収納力が高いです。つまりモノがよく入る。資料のおおいプレゼンテーションや一泊出張のようなシチュエーションは便利です。
反対に、日常遣い程度では、そのポテンシャルは発揮されにくいかもしれませんね。例えば、財布に、文庫本に、手帳に、メガネに、iPodを入れてみましょう。
ああ、マットだけが
置かれた体育館のように
スカスカだ。
・・・ということになります。それではと、カメラ(一眼レフ)とノートパソコンを足してみます。スペースに余裕はあるけれど、こんどはずっしりと重くなる。(ん? あんでこんなに重いんだ?)そうでした、このトートバッグに使われているのは永久保証のレザーなので、しっかりとオイルを含んでいる分、重量があるのでした。
しかしですよ、どうですか、持ち物が多い男っていうのは、なんだか潔くないかんじがしません?
荷物をかかえた007は見たことがないし、
7つ道具をぶらさげてるルパンⅢはいただけない。本来男は手ぶらが一番かっこいいと思うけれど、そうなると男に鞄は不要になってしまいますね。しかし果たしてそうと言い切れるかどうかと自問自答してみると・・・。そもそも鞄の中のスペースは、モノをつめるためのものなのかどうか、という根本的な問題にぶつかりました。
話は横道にぐぐっとそれるけど、時計はアクセサリーであって、
時間を計るモノではない
と言ったのはアンディー・ウォーホール(いいこと言うね)。
そもそも時計は日付なんて合わせちゃダメで、針の先の時間はめちゃくちゃでいいというわけね。同じように鞄はアクセサリーという要素を多分に持っているからして、本来の形を壊すほどの荷物を入れてはダメなのでね。
機能という役割を日常の生活のなかに置いてみると、いかに無用の長物であるかがわかるけれど、それでは不要かといえばそうではなく、それが備わることで他と見分けがつく程度に個性的にしていると考えればよし(と自分に言い聞かせているわけです)。
となれば、このトートが追求するは満足感。
いくら重くなっても最高級のレザーにこだわった理由はその一点にある(ホント? 言い切って大丈夫か)。持った時の感触の良さは言うに及ばず、いつまでも愛でていたくなる上質な存在感は、このレザーでなければ実現しなかったからして。これは疑う余地がないね(たぶん)。
ええと、もう一度横道にそれます。しかもちょっとまじめな話。
今のモノづくりはマーケットありきの考え方ばかりで、それはそれでいいのですけども、お前もそうでなきゃいけないといわれれば、それはやはり反発をおぼえるわけですね。そうしていくとみーんなトヨタ(スタイル)になってしまうよ、これは必然的に。作り手主導のモノがなくなってしまったら、
世の中、あいつらの思うツボですぜ。
作り手がおもしろがってできたものを、マーケット主導型の考え方で分析しようたって、そうはいかない(というか説明なんてできないはずですね)。
「内張りの色はなぜ赤なのですか?」
と聞かれれば
「内側が明るい方がモノが探しやすいからです」
とは一応答えるけれど、そういう質問をする人は、裏地を派手するって楽しいじゃん、目立たない部分を遊ぼうぜ、
見えないとこは、
わがままなのさ。
と言っても伝わらない(ことがおおいのですね)
「そういうことだったら私も一つ持とうかな」
というへそ曲がりな御仁がいらっしゃれば、そりゃあ、もう、喜んで。中身はからっぽという粋を楽しむ。粋というより酔狂に近いか。それもまあいいじゃないか、と思うのでありますね、はい。
