男は、必死に手足を動かしている。本能に従って生きようとしている。スクールでもさんざん習った。背筋を伸ばし、手足を動かし、呼吸のタイミングをはかる。しかし男の体は沈んでいく。懸命にやっているが、男の体は前へ進むどころか深く沈んでいくばかりだ。そんな男に向かってまわりは言う。「もっとちゃんとやれ。必死さが足りない。速やかに実行しろ」と。男は首を傾げる。俺はやっている、必死でもある、それなのに何で叱咤されるのか、さっぱりわからない。いまもゴールに向かって手足を動かしているではないか。メドをつけたところまで、泳ぎきる。これのどこがいけないのか?ところが、残念ながら、男はカナヅチだった。泳ぎ能力が欠落していた。こういった場合、問題は男の方というよりも周りにある。我々からすれば男がカナヅチなのは明白なのに、なぜそれを指摘できないのか? それは周囲も皆カナヅチだからだ。男は泳ぐどころか、水に入る資格さえない。その男を代表として泳がせている。代表を選んでは替え、替えては選ぶ。こんな愚行が許されているのは、周囲も全員カナヅチだからだ。しかも男は無能に加え、辞めない病にもかかっているというのに。このように政治は酷い有様だが、ジャーナリズムを見失いながら、平然と正義ヅラをしているマスコミは、さらにたちが悪い。震災発生当初から政治もマスコミも烏合の衆と化している。日本は様々な危険に満ちている。ここは一体どういう国なのか、ということを考えていても時間の無駄だから、昼間からでも酒を飲んで頭の中をリセットすることに努めようっと。

重すぎず、軽すぎず、今日のような湿度お高めの気候の中でいただくワインとしては合格。この数日、深酒をつづけてしまったものだからからだがどんより重い。二三日酒を控えれば元に戻るかもしれないけれど、こういうときは適切な向い酒をあててやると案外効果的だったりすることもある。という言い訳を自分自身にいい聞かせてみる(虚しい)。ちなみに辞書に「向い酒」は載っていなかった。正しい日本語かどうか以前に、正しい行いからは確実に外れている。
明日から札幌に移動しての某企業のコマーシャル撮影を行う。この季節は、どうしても梅雨のない北海道に撮影が集中する。梅雨と言えば食中毒も集中する。0104が欧州を中心に発生している。極めて珍しい病原体らしい。それがなぜ今なのか? かんたんに関連付けはできないけれど、あるリンクの一端であるような気がするんだけど。まあ、考えすぎるのも考えものだから、ふわりと軽いよいに身を任せて、つまらないことは忘れてしまおう。
