ひどいことをしてしまったと後になって気づくのは、手をついた壁が冷たくて驚いた時のかんじに似ている。先日、盆踊りの傍らの金魚すくいを見ていたら「主」をおもい出した。実家には猫の額ほどの池があって、老金魚がいた。彼を「ヌシ」と呼んでいた。20歳は超えていた。手を叩くとゆらりゆらりと水底から姿を現す主は、愛おしくもあり、生命力の象徴のような存在でもあった。昨年、家屋は取り払われ、土地の売却手続きは事務的に執り行なわれた。でも何かが引っかかっていた。それがなんであるかが、盆踊りの金魚すくいでフォーカスした。池から『主』を移動させたという話は誰からも聞かなかった。金魚は無口が悲しい。でも彼らなりに笑ったり、はしゃいだりすることだってあったろう。無理にでもそうおもうようにして盆踊りを眺めていた。お盆ですね、今から主のために、お線香を三本。
あしたも、ぜんぶ、生きようね。おやすみなさい、悪いコたち。

