僕は、手を出す人を、 怒れない。

ワールドカップのおかげで、毎日、清く正しく寝不足である。昨夜の日本の敗戦は、世間が冷静を取りもどすきっかけになるのではとおもっていたけれど、まだまだ夢見心地の論調が続いている。困ったものだ。たった半月前に岡田ジャパンをバッシングしていた同じ紙面に、「世界との差を縮める」的な見出しは、どういう神経をしているのか? サッカーは選手がやるものだけれど、サッカーを育てるのはそれを取り巻くサポーターであり国民でありマスコミであることをお忘れか? 政治もスポーツもすべてがバラエティ化している日本のマスコミは、内容を正しく判断できる目をもっていない。表面的で真の進化を促すような批評やアイディアの提示ができない。これでは日本サッカーの成長は牛歩のごとくである。

とはいえ、サッカーにおける進歩というのは、クレバーでスマートなサッカーだけを指しているのではない。トッププロの集団であるからして技術は高いものを身につけていて当然だが、そんなものをかなぐり捨て無我夢中でボールを追う姿を見てみたい。求めているのはメンタルの進化である。そういう意味では、トゥーリオのオウンゴールは「アリ」である。思わずボールに反応する。考える前に飛びついていく。こういう選手が、日本にはほかにいるか?

現在は予選リーグの戦いだから、さほど多くの試合を消化しているわけではないのに、ペナルティーエリア内でのハンドを幾度か目撃した。シュートが手に当たるといった偶然のハンドではない。それはNBAの選手のような跳躍で、手をのばして空中のボールを抑えにいっている。もちろんPKである。レッドカードもありえるだろう。選手にそんなことがわからないはずがない。それでも手でディフェンスにいく。これはもう本能である。僕はこういう選手を怒れない。嫌いになれない。それを良しとしているわけではないが、ここまで夢中になってボールを追う選手は日本にはいない。そしてそういった行為を受け入れるほど日本サッカーを深く愛し理解しているマスコミも存在しない。

責めることはかんたんだけれど、愛していればそれも許される。すべてを受け入れた上で、苦言を呈するのなら耳もかす。しかし愛したこともないくせに、昔からの恋人のような顔で近づいていく。調子のいいときだけもちあげて、具合が悪くなるとポイと捨てる。サッカーに限らず、この国のスポーツ報道は陳腐そのものだ。芸能報道と変わりがないことはレポーターを見ているとわかる。あまりにも陳腐な質問の連続にあぜんとする。ゲームの内容より、パブリックヴューイングでどれだけ盛り上がったかを興奮して伝える有様。一時的に盛り上がることが応援だとおもっているファンも同じように陳腐。

もしも手でボールを止めにいって日本が予選リーグを敗退したりしたら、マスコミやこういったファンたちは公開処刑とばかりに大騒ぎすることだろう。日本サッカー界を取り巻く環境は明るくない。サッカーは結果をだすことが一番大切なのは言うまでもないが、結果から逆算してプレーを組み立てられるほどサッカーはかんたんなものではない。ぎりぎりまで身体をつかって、アイディアを絞り出して、ようやくご褒美のゴールがもらえる。それも数少ない世界のトッププレーヤーのはなし。ではそれ以外のアイディアもなく、結果もうまくでないサッカーの場合は・・・、それでも愛して、厳しく育てていくしか道はない。いつか覚醒するときを信じて。だから上げたり下げたりの一過的じゃないサポートのカタチが、マスコミを含めた応援側には求められているのだ。

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